2019年3月1日金曜日

「田舎について都会から来た人が見た意見を聞きたい」に対する回答

都会から来た人の意見が聞きたい、という話しは地域おこし協力隊となった当初はあいさつ代わりというくらいによく言われた。けど、結局それについいて話したことはなかったわけで。だって、それを言う人は人の意見を「聴く」気なんてないのだから、言うだけ時間の無駄だから。

というわけで、これについてブログで独り言として残しておこうかしら、と思った次第。3つにまとめた。

アイデアよりコミットメント

地域活性化界隈の情報を追っているとアイデアコンテストなんてものを散見する。やれ子供やら大学生やらにアイデア出させて活性化にする、といったやつ。あれって、きっとビジネスが成功するために必要なのがアイデアだと思ってるんだよね?まあ、良いアイデアが大きな力になることは間違いないけど、それ以前に必要なことがある。それがコミットメント。

ライ〇ップが「コミット」という言葉を広げてくれたおかげでだいぶ使いやすくなったこの言葉、日本語で簡単に言えば「責任をもってやり切る」ということ。何かを成就させようと思えばこれがないと出来ない。どんなにいいアイデアだって、それをやり切るためには困難が待っているもの。それをやり切ってこそ最終的な成果になる。逆にアイデアに乏しかったとしても、やり切る覚悟でやっていけば結果に繋がるし、たとえダメであっても反省材料を拾い集めることができる。

コミットメントがないから何かやろうとしても自分の好きなことしかしないし、きれいごとしか言わないし、見たくない現実を見ないままにしておく。そして終了、となる。

※そういえば、責任はあるけど責任はとらない、ってハッキリ言ったBull Shitがいたなあ。。。

「聞く」と「聴く」

聞く人はいくらでもいる、でも聴く人はいない。これが結論。
「聞」という字は、門に耳を置いた形をとる。これは入り口に耳を立てて、中に入れるものを耳で選ぶということ。つまり、自分の都合の良いものだけど入れるということだ。それに対し「聴」という字は、耳に十四の心を添えている。

もうこれ以上、説明はいらないよね?

「都会から来た人の視点で意見を云々」と言われた直後に「〇〇なヤツなんでダメだ」なんて話しになったことがあった。「聴く」気なんてサラサラないのだ、と悟った瞬間だった。なんでアンタの機嫌とらなきゃいけなんだよ、と。

足し算引き算

とにかく算数をしない。何か事業をやろうとしたら、いくら仕入れて、いくら販売して、いくら儲ける、を見ないと成就できるかどうかわからない。なのにやらない。

いやまあ、実際にはやってないわけじゃないんだけど、それが事業として成立するのか、成立するためにはどのくらいの数字を達成しなければいけないのか、といったことは誰も考えない。そういうものだと思ってるのだろうか?というか、ここまでそれでやってきていることがスゴい。日本は本当にパラダイスなのではないだろうか?

結論

こんななので、何となくやってみて、うまくいかなければ別のアイデアらしきものを何の計算もなしに始めたりする。人の話しなんて聴かないからやり続ける。結果について足し算引き算しないで続けるから、いつかダメになるのは目に見えてるわけで。

ダメなものに都会も田舎もない。

0 件のコメント:

コメントを投稿

最近の投稿

セミリタイヤ

九州へ一人旅をしてきた。 過去にも自分で節目を感じるようなときに一人で遠出し、自分自身を振り返る機会を作ったことがある。今回もそういった意味もあり、過去に行きながらも時間が足りなかった熊本(阿蘇)と長崎へ。 阿蘇の風景 カルデラそのものの阿蘇の景観は他では見るこ...

人気の投稿