2019年10月4日金曜日

セミリタイヤ

九州へ一人旅をしてきた。

過去にも自分で節目を感じるようなときに一人で遠出し、自分自身を振り返る機会を作ったことがある。今回もそういった意味もあり、過去に行きながらも時間が足りなかった熊本(阿蘇)と長崎へ。

阿蘇の風景

カルデラそのものの阿蘇の景観は他では見ることができない素晴らしいものだし、長崎では異国情緒をはじめ、島原や雲仙などで独特な自然と文化に触れることができた。こういった非日常の空間はセルフセッションのような普段あまりやらないことをするのには最適。そんなわけで、NLPやらマインドマップを使ったセッションなどをやってみた。が、何かしっくりこない。

「やりたくないことを書き出す」というワーク。やりたいことを考えるより自分自身の性格の傾向が見え、逆にやりたいことを見つけやすいということで使われるものだが、これをしてみたら「掃除」「地域活性化」の2つしか出てこない。通常はここから掘り下げ(地域活性化は具体的に何をすることが嫌なのか、など)ていくのであるが、こんなものは掘り下げるまでもなく分かっている。サラリーマン時代であれば、やりたくないことなどいくらでも出そうなくらい出てきた、これはいったい。。。

やりたくないことが出てこない。これはつまりやりたくないことをしていないということだ。そして気付く。つまり、何もやっていないのだ。何もやっていなければ、やりたくないことなど出てこないのだ。何もしていない、という現実を突きつけられる。

ここでふと「セミリタイヤ」という言葉を思いだす。サラリーマン時代はセミリタイヤなんて自分には無関係のものだと思っていた。仕事をやっていれば自然にそれに付随してやるべきことが出てくるのであって、プロとして働いていればセミリタイヤなどしている暇などなく、セミリタイヤなんぞ自分のキャリアをマイナス方向に向かわせることでしかない、と。
ところが今はどうか?なんとなく仕事っぽく見えるようなこともしているが、生活できる規模ではないし、それで生活基盤をつくろうとしているわけでもない。これは紛れもなく「セミリタイヤ」ではないか。

セルフセッションをすると、いつも頭では分かっているはずのことを現実のこととして思い知らされることになる。今回もそうなったな。

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